西新宿合気会

合気道Q&A


おことわり

下記のご質問に対する回答は、あくまでも私が個人的に記述するものであり、合気会としての回答ではありません。

また、高等なご質問や難解なご質問は、お答えしかねる場合もありますが、これから合気道を始めたいという方に、

極力、身近な観点でお伝えしたく、自身が若かりし頃の記述のままに掲載したものです。

批評や論評ではありませんので、ご理解願います。

更に、合気道についてお知りになりたいことがあれば、諸先生方の著書等も是非ご参考にして下さい。

西新宿合気会 初代代表 梅田泰成


合気道とは?


Q 聞いたことはあるのだけど、どういうものなのでしょう。
A 合気道とは開祖・植芝盛平翁が、日本の伝統武術である後藤派柳生流柔術や大東流柔術などの奥義を極めた後、更に厳しい精神修行を行い、術から道へと発展させた現代武道です。
また、合気道は相手といたずらに力で争いません。
間合いと捌き(さばき)から生まれる技は、相手の暴力、向気を制するものであり、相手の生命を殺傷するものではありません。
合気道が「和」の武道といわれる所以はここにもあります。

Q どの様な稽古をするのでしょうか。
A 合気道の鍛練は、形の練習と誤解されることがあります。
それは、武道の世界に形を重んじるものが多く存在することや、合気道が試合を行わないことが原因のようです。
しかし、合気道を修練しようとする方は、(この「形の武道」が良いとか悪いとかの問題ではなく)合気道というものが形の武道ではなく、むしろその対局にあるということを理解しなければなりません。
何故ならば、合気道の変化は実に多彩であり、形として捉える事には無理があります。
(既に同様の回答を先述していますが)
もし、これを形として考え、それのみを鍛練することになれば、合気道の本質である「自然の動き即ち自己の動き」というものを失ってしまいます。
難しい表現ですが、「自然の動き」これこそ合気道であり、その奥は本当に深く遠く極まりないものなのです。

Q 健康にも良いらしいという話を聞くのですが。
A 大変良いと思います。
力でごりごりと無理をするわけでもなく、姿勢も正しく、有酸素運動で筋を延ばし、気を充実させて厳しさの中にも和やかさがある。
そういったものが、合気の道であると考えています。

Q 武道だからきついだろうし、覚悟して始めなければだめなもの?
A 武道である以上、もちろん厳しい面もあります。
しかしそれは、むしろ体力的なものよりも、礼節といった精神的な部分です。
やる気と一生懸命さがあれば、体が動く限り、年齢に関係なく、稽古は続けられるでしょう。

Q 宗教的な要素もあるのでしょうか?
A 確かに開祖・植芝盛平翁はご入神されましたが、それを信仰しなさいというものではありません。
現に合気道は国際化しており、様々な宗派の方が修行されています。
もし、合気道が宗教的なものであれば、彼らは決して修行しないでしょう。

− 合気道の理念 −
合気道では「和合の精神」が大切にされています。
この「和」とは、やわらぐ、なごむ、仲良くなる、穏やかになる、争わない、柔らかになる、従う、楽しい、日本的など、多くの意味が含まれています。
また「和」とは、人と人、心と心、心と体、人と自然などの融和でもあります。

合気道には試合がありません。
稽古の相手は優劣を争う相手ではなく、相和して共に歩み、向上していく上での同志なのです。

合気道の動きは円の動きになぞらえます。
この円というものには角も頂点も、上も下もありません。
平等、融和、そして始めも終わりもない悠久不滅なものです。


合気道をやってみたいなと思ったことはあるけれど…


Q でも、実際にどんなものかよく知らない。
A とりあえず見てみれば、なんとなくは分かるでしょうが、結局はやってみないとはっきりしないかと思います。
一言で説明するのは難しいのですが、ちょうど時代劇の中で、刀を相手に素手で戦っている人という感じでしょうか。

Q 休みの日は色々することもあってなんだか忙しい。
A 毎週、金曜日の夜が稽古です。
華金に!?という人も居られるでしょうが、次の日が休みというのは身体的に○ですよ。
それに稽古終了は21時。休み前ならまだまだ遊べる時間です。

Q 仕事は決まった時間に終わらないし、練習時間に間に合わない。
A うちの会は、会社勤めの人が大半なので、7時過ぎから稽古してます。
いかがでしょうか?
本当はもう少し遅くから始めたいのですが、貸借場所の都合で、今はこれがせいいっぱい遅い時間です。

Q 運動してなかったし、体力的についていけないのではと心配。
A そういう人は大勢いますけど、まったく心配ないですよ。
実際に子供からお年寄りまでできます。
例として、ご定年を迎えて始められた方が多数いらっしゃいます。
その理由の一つは、合気道の稽古が、力のぶつけ合いでも倒し合いでもなく、体の動きと精神のあり方が主体だからではないでしょうか。
言葉だと難しくなりますので、やってみるのが一番です。
少なくともレベルに合った稽古ですし、いきなり達人の真似をしろ!とは言いませんので。

Q どこに行っていいか分からない、変なとこだったら困るし…。
A 弊会は、財団法人合気会公認の支部であり、会社勤めの人が気軽に稽古しているところです。
宗教団体でも物売りでもありませんから、安心して下さい。

Q やっぱり厳しいだろうし、怪我をしないかどうか心配。
A 合気道の稽古は、自然とその人のレベルにあった内容になります。
いきなり無理な動きをしようと思ってもできませんから。
それに、がつんとぶつかり合う稽古や殴り合いはしないので、大丈V。

Q 男みたいなごつい体になったらどうしよう。
A そんなことはありません。合気道は女性も多い武道です。
かえって姿勢はよくなるし、心と体の均整をとるにはもってこいです。
実際にやっている人を見てください。 ね!?

Q 近くてちゃんと教えてくれるところがわからない。
A どこの道場でもちゃんと教えてくれると思いますが、厳し過ぎたり上段者ばかりでは、内容が難しいってことでしょうか?
そういう意味では、仕事帰りに稽古というスタイル。稽古中は真剣。
でも稽古が終わるとおちゃらけ。こんなうちの会は、もってこいかもしれません。
それに、指導者もみんな親切です。

Q そう若くもないし、ついていけるかどうか。もっと早かったら良かった。
A 本当に合気道は、年齢にも体格にも関係なく、学ぶことができます。
確かに極めることは、奥も深く厳しいものですが、その時その時の段階に合った稽古ができますので、最初はとにかく、楽しく一生懸命にやってみて下さい。
きっと満足されると思います。
私たちも皆、最初は「初心者」だったのですから。
それと以前に私も言われた事なのですが、いつ始めたとしても、もっと早くに始めれば良かったと言うのではないでしょうか。
それが楽しければ楽しい程に。

Q 誰か一緒ならいいけど、一人だと行きづらくて。
A 人見知りしやすい方も居られると思います。
でも、思い切って来てみて下さい。
気(心)を開けば必ず「合気」という名の通り、気が通い合う様になりますよ。これは実際の話で、合気道を修練していると、気を合わせるというか、心持ちが広がってくるのが分かります。
以前に私も先生から教わったのですが、古語に「春風を以って人に接し秋雪を以って自らを慎む。」というものがあります。
これは、「自分に対しては厳しく、周りの人々に対しては、春風の様に心地良ささえ感じさせる程に、穏やかに優しく。」というものですが、
合気道の修行を行っていると精神的にも成長するので、次第とこの様な感覚が芽生えてくる気がしています。
実際に春風のような心持ちであれば、それは友人や異性、上司や後輩等、周りの人にとっても心地良いものであり、そこに自然の魅力が生まれるのは言うまでもありません。


合気道の概要・稽古内容・武道として・その他


Q 喧嘩に強くなりたいがなれるのだろうか。
A 人によっては、「武道は喧嘩の道具ではない。」と一蹴されそうですが、これは正直な質問であると思いますので、少々長く記述します。
事実、習う目的は人それぞれでしょう。
だから良い悪いはさておき、一言で言えば、喧嘩も強くなるでしょう。
これは他の武道もそうであると思います。
しかも合気道は、常に相手と組みながら稽古することで、相手との間合いや捌きを修練します。
またそれが基本稽古の一部でもあります。
よって体の動きとしては、入門時から既に実践的な稽古になります。
しかし合気道は、喧嘩は強くなっても、暴力や人殺しは上手になりません。
更に合気道の究極は、戦わずにして勝つということでしょう。
こう言うと漠然としてわかりにくいのですが、ある高名な方が「究極の技は?」と問われた時、
「自分を殺しに来た者がその気を失い、却って親しくなるというもの」といった内容の答えをされました。
将に「合気」の真意であると考えさせられたご返答です。
確かに喧嘩は、自分や大切な人を守る為、或いは、人助けの為に、止む得ず必要な場合もあると思います。
しかし、暴力は必要なものではありません。
以前、私が極真の門下生だった頃、本音は喧嘩に強くなりたいから。と言う人に、今以上に多く出会った記憶があります。(私もそうでした。)
でも、その様な人が修行を続けているうちに、精神的に喧嘩を求めない、暴力を振るわない人になっていきます。
武道の修行とはそういうもので、精神的な成長が伴うものだと考えます。
ことに合気道は、そういった精神修行に重きがあり、更にはそれが技につながるものであると感じています。
最後に、ある意味で喧嘩を求める行為は、暴力と言えるでしょう。

Q 戦えば空手のほうが強いのではないか。
A こういった比較論にはお答えできません。
何を以て判断するかということもありますので。
ただ言える事は、
「両方を自分自身で極め、その後、自分自身で判断する。」
それが自分にとって、一番納得のいく答えでしょう。
もちろん、その答えを他人におしつけても、その人にとって正しいとは言えないと思います。
付け加えるならば、どの武道を修練しても、その求むべき究極というのは、いずれも極めて近いものではないでしょうか。
いや、ひょっとすると修行する上での過程が異なるだけで、究極は同じ所に到達するのかもしれません。

Q 型の稽古ばかりに思えるが、組手や試合もあるのだろうか。
A 先ず、組手や試合はありません。
極めて達人の者同士が行うのならば、先見を元に可能かもしれません。
でも、修行者が組手や試合を行えば、けが人ばかりで稽古が続きません。
これは、合気道が危険な武道というわけではなく、例えば「入り身」の様に実践的な動きをすることも要因の一つです。
例えば空手でさえ、入り身の動きがある芦原空手の様に、組手を行わないところもあります。これは同様の理由であると受け取れます。
また、「受け身」「一教運動」「膝行」といった一人で行える基本稽古もありますが、打撃系の武道以上に相手と組んで行う、いわゆる型の様に思われている(型ではない)稽古を基本の一環として、中心に行っています。
これを実践的な極真空手で例えるなら、先ずは静に構えて「三合法の突き」いわゆる、「基本」を稽古して、次に移動稽古、スパーリングや組手といった動きの中で、その基本に忠実な突きが打てる様に稽古をしています。
これはその武道に適した稽古方法であり、大山総裁をはじめとした先人の方達が、「如何に、早く・正しく・正確に修行できるか。」ということを試行錯誤して生み出したものでしょう。
同様に合気道の場合は、お互いとの間合いや捌きが大切であり、これが基本稽古の一環になります。
ですから必然的に相手と組んで行うことが主体で、しかも、お互いが修練できる様に「気」を合わせて行いますので、ぱっと見て型の様に思われる稽古になるのでしょう。
しかしこの稽古方法が、開祖・植芝盛平翁をはじめに、先人の方々が編み出した、合気道の修練に適したものなのです。
そしてあらためて、稽古していく上で注意して欲しいことがあります。
合気道というものは、決して型を修行する武道ではないということです。
むしろ型の様に見える稽古は、その対局に在るもので、常に変化する相手に対して、柔軟にどうやって対応するか、ということも修練するものです。
まあ仮に、型として考えようとしても、合気道の変化は超多彩で、はっきり言って無理です。
それでも、無理矢理、型として考えて修練すると、それこそ合気道の本質である、「自然の動き即ち自己の動き」が、なくなってしまいます。「自然の動き」こそ合気道であり、その奥は、大変深いものです。

Q 型の稽古ばかりに思えるが、楽しいだろうか。
A 再三ですが型ではありません…。
まあ例えどうであれ、稽古内容よりも「士魂空拳」。
一生懸命やることがすばらしく、精魂込めて懸命にやることが大切です。
そうすれば、稽古を通じた楽しさが必ず見つかることでしょう。

Q どういうことに気をつけて稽古すればよいのだろうか。
A 良い先生に就いて、指導に従って下さい。
「勇将のもとに弱卒なし」と言いますので。



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